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牧師の日記と教会情報


by fukuinkyokai

清々しく動き回ろう!

感じたことに忠実に!・・・踏み出す。

思うことを、実行する!・・・なにかが始まる。
  考えることを、実践する!・・・なにかが変わる。
     心の願いを実行する=祈りを実践する!・・・清々しく風立ちぬ。

「清々しく実践」を今日のテーマとしませんか?
・・・みんなで、いっしょに・・・ 

                                さわはた
# by fukuinkyokai | 2008-05-20 12:35 | 牧師から
5月16日に期末試験を終了し、神学大学2年目を終えたとの連絡が入りました。
私たちの教会からのサポートは、本当に少額ですが、アンソニーさん、奥さまのエリザベスさん、長女のアリサちゃんたちの元気の源になっているようです。

教会の皆さん、私からも「ありがとうございます」です。

9月の新学期が始るまでシカゴでアルバイトをして、来年度の学資を蓄えるそうです。
(日本訪問は来年の夏休みになるようです)

アメリカから何か購入したい方、
日本からアメリカへ、何かを輸出したい方、
どんなことでも良いですが、アンソニーさんに仕事を提供できる方がありましたら教会まで連絡いただけるとありがたいです。
# by fukuinkyokai | 2008-05-20 00:24 | 教会ニュース
『お前は無理だよ』と言う人の言うことを聞いてはいけない。
もし自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかった時に、他人のせいにしないで自分のせいにしなさい。

多くの人が「僕にもお前にも無理だよ」と言った。
何故なら彼らは成功できなかったから。途中で諦めてしまったから。
だから君にもその夢を諦めてほしいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。

決して諦めては駄目だ。
自分の周りをエネルギーにあふれしっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分の周りを野心であふれプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたらその人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考える事ができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。

- マジック・ジョンソン -
# by fukuinkyokai | 2008-05-19 17:57
■最後だとわかっていたなら■
ローラ ホートン (訳:佐川 睦)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
 
# by fukuinkyokai | 2008-05-11 10:32

自分の「素」

人生という日々の重なりを意味深いものにするために、

一、遠くの、遠くの、遠~くに視線を向けようよ。 
  
つぎに、今見えている、遠いその地平線の、もっと彼方を、見つめてみよう。
    そして、その先にある空に向かって眼を上げてみよう・・・。

二、そして、今度は、ゆっくりと、ゆっくりと、自分の足元に目を移そう。

    そのまま、じっと自分の足元を見つめていよう。
    すると、かならず、湧き上って来ているものがあるはず。

    それまでの自分なら、見過ごしてしまったかも知れない
    「自分の中に湧き上がる、素の自分の思い」
    出会おう、気づこう、「自分」に。

    苦しくなるほどの純粋な姿勢と、清らかさで、
    見つめよう「愛おしい自分という人生」を。
    小さくて、小さくて、でも、とっても大事にしたいもの。
    自分という「素」の「思い」が、そこに存在する。
    
    気づくはず。

          そしたら、そしたら、しめたもの・・・

三、そのときです、・・・
  そのときに・・・心に浮かんだ、自分の素の”自分の言葉”を、差し出そう。愛する人に。
     ・・・捧げよう。大切な方へ。 恋人?へ、親友?へ、キリスト?へ。


AA、人は、自分の人生を、自分の足で、運んでいる。
   しかも、一人で。
   いつも、いつも、一人で・・・どんなときも一人で・・・。
   そして、それは終わりまで続くもの。
   
   見つめた空が、清々しさを分けてくれ、凛とした思いにしてくれる。
   その思いが、自分の背筋を伸ばしてくれる。美しい孤独を従えて。

BB、静かな、静かな想いの中で見つめてみよう自分の足元を。
   そして、感じてみよう、自分の足元が知らせてくれるものを。
   
   人は、独りでは生きず、生かされて生きている。
   
   ”自分の足元”に知らせてもらったほうがいい。
   自分への確かな知らせとして。


   正直に自分が愛おしくなってみるといいとおもいます。
   強烈に、愛おしい人を愛おしくなって、そのときの自分に
   正直になって、正直に対峙するといいのかと思います。

   人生が自分に呼び込んでくれている、「愛おしいもの」、「愛おしい人」を、
   胸の奥で、本当に知れる幸いを自分のものにしては如何でしょう。

   やさしさの中で湧き上がり、生まれた、自分の中の”自分だけ
   のやさしい言葉”に出会ってみよう。

CC、そして、丁寧に、正直に、差し出そう、”その自分だけのやさしい言葉”を。
             自分の愛する人に。

   そこで、静かに、祈る「神よ・・・」と。
# by fukuinkyokai | 2006-10-03 18:59 | 牧師から