人生という日々の重なりを意味深いものにするために、
一、遠くの、遠くの、遠~くに視線を向けようよ。
つぎに、今見えている、遠いその地平線の、もっと彼方を、見つめてみよう。
そして、その先にある空に向かって眼を上げてみよう・・・。
二、そして、今度は、ゆっくりと、ゆっくりと、自分の足元に目を移そう。
そのまま、じっと自分の足元を見つめていよう。
すると、かならず、湧き上って来ているものがあるはず。
それまでの自分なら、見過ごしてしまったかも知れない
「自分の中に湧き上がる、素の自分の思い」
出会おう、気づこう、「自分」に。
苦しくなるほどの純粋な姿勢と、清らかさで、
見つめよう「愛おしい自分という人生」を。
小さくて、小さくて、でも、とっても大事にしたいもの。
自分という「素」の「思い」が、そこに存在する。
気づくはず。
そしたら、そしたら、しめたもの・・・
三、そのときです、・・・
そのときに・・・心に浮かんだ、自分の素の”自分の言葉”を、差し出そう。愛する人に。
・・・捧げよう。大切な方へ。 恋人?へ、親友?へ、キリスト?へ。
AA、人は、自分の人生を、自分の足で、運んでいる。
しかも、一人で。
いつも、いつも、一人で・・・どんなときも一人で・・・。
そして、それは終わりまで続くもの。
見つめた空が、清々しさを分けてくれ、凛とした思いにしてくれる。
その思いが、自分の背筋を伸ばしてくれる。美しい孤独を従えて。
BB、静かな、静かな想いの中で見つめてみよう自分の足元を。
そして、感じてみよう、自分の足元が知らせてくれるものを。
人は、独りでは生きず、生かされて生きている。
”自分の足元”に知らせてもらったほうがいい。
自分への確かな知らせとして。
正直に自分が愛おしくなってみるといいとおもいます。
強烈に、愛おしい人を愛おしくなって、そのときの自分に
正直になって、正直に対峙するといいのかと思います。
人生が自分に呼び込んでくれている、「愛おしいもの」、「愛おしい人」を、
胸の奥で、本当に知れる幸いを自分のものにしては如何でしょう。
やさしさの中で湧き上がり、生まれた、自分の中の”自分だけ
のやさしい言葉”に出会ってみよう。
CC、そして、丁寧に、正直に、差し出そう、”その自分だけのやさしい言葉”を。
自分の愛する人に。
そこで、静かに、祈る「神よ・・・」と。