牧師の日記と教会情報


by fukuinkyokai
ご自身の専門職の傍ら、財団法人の責任を持ち、老人福祉に心を注いでいる方とご一緒しました。 「どうも言葉をこねまわして、思いやりのある行動が出てこないところに教会の問題がある様な気がします」と仰っていました。

言葉に重きを置く大切さを突き抜けたところで生まれる、
借り物でない、
自分自身のアクションを、
1つか2つ持ちたいですね。澤畑明豪
# by fukuinkyokai | 2008-10-02 15:25 | 牧師から

心得 その1

夢を実践、祈りを実行。静かに、そして、共に・・・。
# by fukuinkyokai | 2008-09-26 16:18 | 牧師から
教会に新しい訪問者が来られると、私たちの教会の経緯についてよく質問されます。
「このような雰囲気の教会はどのようにしてスタートしたのか」とよく質問されてしまいます。

そんな理由から、ちょっとだけ「私たちの教会のあゆみ」を説明して、私たちが望んでいる姿を分かっていただけたらと思います。

・プロテスタントです。
・単立で福音に基づいた教会形成を最重要視します。自主自立です。
・エホバの証人、モルモン教、統一教会とは異なります。
・聖書に唯一の権威を置く姿勢を大切にしますので、聖書に親しみ、キリスト教を知るには、良い教会かと思います。
・聖餐式は、毎週の礼拝時に執り行われます。
・聖書に記されているように、礼拝は「霊と誠とをもって」、「秩序」を守り「心から」との原則を大切にしますので、礼拝は「静か」です。自由に立ちあがり大きな声で夫々歌ったり踊ったりする教会を期待している方は失望すると思います。穏やかで、和やかで、心の憩いが生まれる空気を大切にする教会です。
・献金の義務、小冊子配布の義務は一切ありません。

キリストの福音教会は、聖書に基づいて
「聖書にすべての権威を置きます」
「”週の初めに・・・”とあるように毎日曜礼拝での聖餐式を守ります。
「聖書の語るところを語り、聖書の黙するところは黙し、教会形成に関して作法や見解の相違が生まれているところには、聖書の語るところの”愛”によって乗り越える」という姿勢をとっています。

当教会が望んでいる教会の姿は、

1. みんなが自由に何でも話せる教会
2. 楽しい教会
3. 気軽に来れる教会
4. 冗談がわかる教会(なごみと励ましが生まれる教会)
5. 聖書を教えてくれる教会(「聖書」の学びができる教会)


当教会へ来てみたいと思っている方へ

日曜礼拝
午後6時00分から日曜礼拝があります。
(午後8時00分の終了予定です)
# by fukuinkyokai | 2008-05-22 13:18 | キリストの福音教会について

私たち教会の願い・・・

私たち教会の願いは、この教会が「都市生活をする人々のオアシス」になることです。
この教会に来られる方々の心に少しでも「なごみ」が齎されますよう役に立てていただければと思います。 この教会を「どのように」自分に役立てるか? 自分をこの教会に「どのように」に役立てるか?みんなと一緒に考えてベストのかかわり方を考えてみてください。

(どの教会でも良いのですが)教会との「つながり方」、即ちそれは、「キリスト=キリスト教とのつながり方」ですので素敵なつながり方のできる教会、自分を見つけてください。

教会を尋ねるには、紹介状や紹介者は要りません。
メールか電話でご一報ください。駅までお迎えを用意します。
手ぶらで、空きっ腹でお越し下さい。
# by fukuinkyokai | 2008-05-22 12:45 | キリストの福音教会について
プロテスタントの教会ですです。
日曜日の礼拝は、牧師の到着を待って18:00から始めます。
都合で、遅れて来られる方もいます。遅れそうでもそのまま遠慮せず来て下さい。
教会での時間は、みんなで創りだしますので、初めての方も、古い方も、時間通りにきたかたも、遅れてきたかたも、等しく「教会」の時間を作って下さい。

牧師が作る時間でなく、出席した全員がつくる時間=教会
和みの時間=教会での時間
自由に質問できる時間・・・
出席者全員で楽しく過ごせる時間・・・
有意義になにかが学べる時間・・・
元気になれる時間・・・

いつでも聖書の中心課題が、分かりやすく、学べる時間のある場所

献金は、用意しなくてもかまいません。気持で来ていただける教会です。
18:00からですので、おにぎりですが夕食つきですので、空腹で来られてください。
# by fukuinkyokai | 2008-05-20 13:02 | キリストの福音教会について

清々しく動き回ろう!

感じたことに忠実に!・・・踏み出す。

思うことを、実行する!・・・なにかが始まる。
  考えることを、実践する!・・・なにかが変わる。
     心の願いを実行する=祈りを実践する!・・・清々しく風立ちぬ。

「清々しく実践」を今日のテーマとしませんか?
・・・みんなで、いっしょに・・・ 

                                さわはた
# by fukuinkyokai | 2008-05-20 12:35 | 牧師から
5月16日に期末試験を終了し、神学大学2年目を終えたとの連絡が入りました。
私たちの教会からのサポートは、本当に少額ですが、アンソニーさん、奥さまのエリザベスさん、長女のアリサちゃんたちの元気の源になっているようです。

教会の皆さん、私からも「ありがとうございます」です。

9月の新学期が始るまでシカゴでアルバイトをして、来年度の学資を蓄えるそうです。
(日本訪問は来年の夏休みになるようです)

アメリカから何か購入したい方、
日本からアメリカへ、何かを輸出したい方、
どんなことでも良いですが、アンソニーさんに仕事を提供できる方がありましたら教会まで連絡いただけるとありがたいです。
# by fukuinkyokai | 2008-05-20 00:24 | 教会ニュース
『お前は無理だよ』と言う人の言うことを聞いてはいけない。
もし自分で何かを成し遂げたかったら、
できなかった時に、他人のせいにしないで自分のせいにしなさい。

多くの人が「僕にもお前にも無理だよ」と言った。
何故なら彼らは成功できなかったから。途中で諦めてしまったから。
だから君にもその夢を諦めてほしいんだ。
不幸な人は不幸な人を友達にしたいんだ。

決して諦めては駄目だ。
自分の周りをエネルギーにあふれしっかりした考え方を持っている人で固めなさい。
自分の周りを野心であふれプラス思考の人で固めなさい。
近くに誰か憧れる人がいたらその人にアドバイスを求めなさい。
君の人生を考える事ができるのは君だけだ。
君の夢が何であれ、それに向かっていくんだ。

- マジック・ジョンソン -
# by fukuinkyokai | 2008-05-19 17:57
■最後だとわかっていたなら■
ローラ ホートン (訳:佐川 睦)

あなたが眠りにつくのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは もっとちゃんとカバーをかけて
神様にその魂を守ってくださるように祈っただろう

あなたがドアを出て行くのを見るのが
最後だとわかっていたら
わたしは あなたを抱きしめてキスをして
そしてまたもう一度呼び寄せて 抱きしめただろう

あなたが喜びに満ちた声をあげるのを聞くのが
最後だとわかっていたら
わたしは その一部始終をビデオにとって
毎日繰り返し見ただろう

確かに いつも明日は やってくる
見過ごしたことも取り返せる
やりまちがったことも
やり直す機会が いつでも与えられている

「あなたを愛してる」と言うことは
いつだってできるし
「何か手伝おうか?」と声をかけることも
いつだってできる

でも もしそれがわたしの勘違いで
今日で全てが終わるとしたら
わたしは 今日
どんなにあなたを愛しているか 伝えたい

そして私達は 忘れないようにしたい

若い人にも 年老いた人にも
明日は誰にも約束されていないのだということを
愛する人を抱きしめるのは
今日が最後になるかもしれないことを

明日が来るのを待っているなら
今日でもいいはず
もし明日が来ないとしたら
あなたは今日を後悔するだろうから

微笑みや 抱擁や キスをするための
ほんのちょっとの時間を どうして惜しんだのかと
忙しさを理由に
その人の最後の願いとなってしまったことを
どうして してあげられなかったのかと

だから 今日
あなたの大切な人たちを しっかりと抱きしめよう
そして その人を愛していること
いつでも いつまでも大切な存在だと言うことを
そっと伝えよう

「ごめんね」や「許してね」や「ありがとう」や
「気にしないで」を伝える時を持とう
そうすれば もし明日が来ないとしても
あなたは今日を後悔しないだろうから
 
# by fukuinkyokai | 2008-05-11 10:32

自分の「素」

人生という日々の重なりを意味深いものにするために、

一、遠くの、遠くの、遠~くに視線を向けようよ。 
  
つぎに、今見えている、遠いその地平線の、もっと彼方を、見つめてみよう。
    そして、その先にある空に向かって眼を上げてみよう・・・。

二、そして、今度は、ゆっくりと、ゆっくりと、自分の足元に目を移そう。

    そのまま、じっと自分の足元を見つめていよう。
    すると、かならず、湧き上って来ているものがあるはず。

    それまでの自分なら、見過ごしてしまったかも知れない
    「自分の中に湧き上がる、素の自分の思い」
    出会おう、気づこう、「自分」に。

    苦しくなるほどの純粋な姿勢と、清らかさで、
    見つめよう「愛おしい自分という人生」を。
    小さくて、小さくて、でも、とっても大事にしたいもの。
    自分という「素」の「思い」が、そこに存在する。
    
    気づくはず。

          そしたら、そしたら、しめたもの・・・

三、そのときです、・・・
  そのときに・・・心に浮かんだ、自分の素の”自分の言葉”を、差し出そう。愛する人に。
     ・・・捧げよう。大切な方へ。 恋人?へ、親友?へ、キリスト?へ。


AA、人は、自分の人生を、自分の足で、運んでいる。
   しかも、一人で。
   いつも、いつも、一人で・・・どんなときも一人で・・・。
   そして、それは終わりまで続くもの。
   
   見つめた空が、清々しさを分けてくれ、凛とした思いにしてくれる。
   その思いが、自分の背筋を伸ばしてくれる。美しい孤独を従えて。

BB、静かな、静かな想いの中で見つめてみよう自分の足元を。
   そして、感じてみよう、自分の足元が知らせてくれるものを。
   
   人は、独りでは生きず、生かされて生きている。
   
   ”自分の足元”に知らせてもらったほうがいい。
   自分への確かな知らせとして。


   正直に自分が愛おしくなってみるといいとおもいます。
   強烈に、愛おしい人を愛おしくなって、そのときの自分に
   正直になって、正直に対峙するといいのかと思います。

   人生が自分に呼び込んでくれている、「愛おしいもの」、「愛おしい人」を、
   胸の奥で、本当に知れる幸いを自分のものにしては如何でしょう。

   やさしさの中で湧き上がり、生まれた、自分の中の”自分だけ
   のやさしい言葉”に出会ってみよう。

CC、そして、丁寧に、正直に、差し出そう、”その自分だけのやさしい言葉”を。
             自分の愛する人に。

   そこで、静かに、祈る「神よ・・・」と。
# by fukuinkyokai | 2006-10-03 18:59 | 牧師から